PINKオヤジの客間 〜お客様はエンブリオさん〜 |
この度はPINKさんの別宅(y_shinさんが大家さん)の客間にお招きいただきましてありがとうございます。PINKさんからy_shinさんの所で何か書いてみませんか、とお誘いを受けそのお言葉に甘える事にいたしました。 何を書いたら良いのかいろいろと迷いましたが、やはり、私が観たフロイドの2度目の来日公演のお話をするのが一番と思い、筆を下ろすことにしました。 当時、アルバム「おせっかい」を買わなかったら、72年の来日公演には行く事はなかったでしょう。何ぶん30年近く前の事で記憶があやふやですが、最後までお付き合いの程、よろしくお願いいたします。(^^)(エンブリオ) |
写真館へ 00/10/24up
第一部 「1972年3月6日までのチューニング」 藪から棒に、1972.3.6と言えば?大田区体育館と連想されたら、かなりのプロレス通の方です。この日は日本プロレスを除名になった猪木が新日本プロレスを旗揚げして、この体育館でカール・ゴッチとシングルマッチで対戦し敗れました。フロイドと同様にこちらの動向も気になっていました。同じ体育館でもこちらは千駄ヶ谷の東京都体育館です。 コンサートにふさわしい、もう少しましな会場はなかったのでしょうか?グスン。フロイドファンなら1946.3.6の方がわかりやすいかもしれませんね。 さて、私が洋楽にのめり込んだのは高校に入学する前の頃(1971年)で、初めて買ったLPは近くのレコード店に予約したビートルズの「レット・イット・ビー」と記憶しています。写真集付きで4,000円。当時特にビートルズファンだったわけではなく、この値段は高いと感じました。多分、71年の初めでした。ラジオで流れるポップスで気に入った曲のシングル盤を買い始めたのもこの頃です。因みにショッキング・ブルーの「ヴィーナス」、マッシュ・マッカーンの「霧の中の二人」、マンゴ・ジェリーの「イン・ザ・サマー・タイム」そして、MANDOMのCMに刺激されて、ジェリー・ウォレスの「男の世界」などを買ってきて聴いていました。高校入学時に、それまでの貯金をはたいてステレオを購入。何ともちゃちな音がする卓上プレーヤーともおさらばです。そして、グランド・ファンク・レイルロードの後楽園球場へと暴走していくわけです。 どうして、G.F.Rのチケットを買う気になったか?たまたま銀座の松屋デパートの地下チケット売り場で「ロックカーニバル」のポスターが目に飛び込んできて、さあ、どうしたものか?公演日も高校の試験休みでもあり、野球観戦のつもりで出かけてみるか、と軽い気持ちでチケットを買いました。すでにA、B席は売り切れていて1,000円の自由席しかなかった。この時はグランドファンクのレコードは持っていません。ラジオでも聴いたことがない。とにかく面白そうだな、これしか動機が思い浮かびません。何とも単純で味気ない話です。 コンサート当日、球場へ入るとすでに観客は埋め尽くされていて、外野だけが空席で、自分の席は3塁側で2塁ベース付近に設けたステージを後ろの方から観ることになり、見づらい位置でした。前座のマッシュ・マッカーンの演奏中に突風が吹き、また夕立の予感がありました。前日も同様の悪天候だったので観衆の期待が膨らんだのですね。ふふふ、俺達の筋書き通りになってきたぞ、と。もうこの時のワクワクした気分は思い出しても鳥肌が立ちます。グランド・ファンクの出番が近づくと雨足は強まり、ウグイス嬢のもうしばらくお待ちください、のアナウンスが何回も続き、焦れてくるんです。20分、30分、糸居五郎(当時の海外アーティスト来日公演で必ず顔を出すDJ)の、「必ずグランドファンクは演奏しますから」、には罵倒の嵐。私は軟弱なので屋根のある通路へ避難して人がうごめいているステージをぼんやり見ているだけです。1時間近く待たされてようやくグランド・ファンクが登場。翌日の新聞の三面記事に載るほどこの日のコンサートは社会的なインパクトが強く、当時の若者の暴走ぶりを取り上げる格好のネタになりました。普段、オクラホマ・ミキサーがかかれば好きな女の子と手を繋げるとむっつり助平な少年が訳もわからず大声でハートブレイカーと唄う姿は異様でした。それは私です。ふと、帰りの時間が気になり、最後の演奏が終わる前に球場を出たような気がします。大きめなパンフレットを2つ折りにして持参のマジックバックにしまいずぶぬれになって水道橋の駅へ向かい放心状態で家路に着きました。風呂にも入らずパジャマに着替えすぐベッドの上に横になりました。まだ耳鳴りがやみません。頭がガンガンします。あの後楽園球場の大出力の音圧にまるで犯されたようでした。この日の体験は、当時の日○ロマンポルノの作風に例えるなら、レイプされた被害者がしだいに加害者に変身していく予感がしました。 季節は晩秋へと移っていきます。この頃から音楽雑誌なども読むようになり、ミュージック・ライフにピンク・フロイドの箱根アフロディーテ来日公演のグラビア記事が巻頭に掲載されていました。普段着のままで舞台に立つとは、何者じゃ、この連中は?インタビュー記事には「俺達はしゃべりに来たんじゃない、演奏をしにきたんだ」。一体、何様のつもりなんじゃ?と、そんな礼儀知らずなバンドなんてろくなもんじゃないだろう、と高をくくっていました。
2月に、あるFMの音楽番組(多分、東芝音工が提供)で東芝の石坂敬一氏のロンドンからのレポートを聞きました。今回のフロイドのロンドン公演は、素晴らしかった、と。まず、ライト・ショーを復活させたこと、「吹けよ風、呼べよ嵐」で会場に圧搾空気を使用し、風を観客に向かって送っていたこと、新曲がかなり含まれていた。こんな断片しか覚えていませんが、これを聞いただけでも、もう、ダメ。想像するだけで当日が待ち遠しくなります。学期末試験の事などはどうでもよくなり、エコーズだけをしっかり頭にインプットしてました。 さあ、いよいよ、3月6日です。天気は朝から快晴。私の体調も万全です。しかし、寒い。この日の学校の授業で教師の声は全く耳に入らず、ただただ、終業ベルが鳴るのを待つのみ。フロイドのメンバーは、午後12時30分から、ホテル・ニューオータニ椿の間で記者会見に出席していた。 Q: 以上、ML72年4月号付録より抜粋 今、思うと当時、ロジャーがきちんと質問に答えているのは意外な感じがする。 (2000/07/10 by エンブリオ)
大阪公演のチケットは1974年頃に大阪のフロイドファンの方からいただいたものです。 |