IsThere Anybody Out There?


(提供・seanさん 翻訳・パワーさん 2000/06/07更新)

大仕事が正に終わろうとしている。The Wallから始まり、そしてこの本の終わりにたどり着いたのだ。ここで話題にするTheWallは、スタジオ盤でなく、1980年と81年にロンドンのアールズ・コートで行われたコンサートのライブアルバムであり、名手James Guthrieの手によってデジタル編集されたのだ。

フロイドファンならずとも音楽好きなら、不思議に感じる点もあると思う。例えば、「なぜ今更?」とか、「なぜスタジオ録音の最新作ではなく、The Wallのライブなのか?」、「なぜこんなものを引っ張り出してきたのか?」、「こんなもの、誰が買うのか?」、「裏の仕掛け人がいるのか?」、「ロジャーが先頭に立っているのか?」、「それとも、ロジャーは今やフロイドのメンバーではないので、ピンク・フロイドの作品としてギルモアが主導権を握っていたのか?」等々。これを読んでいるあなたが、私のように借金に追われていて金を稼がずにはいられない立場であるなら、こういった質問はわざわざしないだろう。しかし、2000年2月をもって、The Wallの初コンサートから20周年、それが理由なのだ。誰の目にも明らかである。  

素晴らしいライブだった。従って、The Wallのライブアルバム「Is There Anybody Out There?」もスタジオ録音の緻密さとはまた違った素晴らしいものになると確信していた。ライブは実に入り組んでいて、様々な要素が溶け込んでいた。目も眩むようなライト群、音響効果、映像、操り人形、身代わりバンド、ブタ、クラッシュした飛行機、そしてもちろん、ライブの最中に徐々に立ちはだかり、ラストに盛大に崩壊する巨大な壁。これを成功させるにはライブの進行に合わせて時間通りに正確に進行させなければならなかった。技術や組織力を別にすると、それ以外の要素はあまり重要ではなかった。ステージ技術やスタッフたちのお陰で、4つの都市での公演を成功させることが出来たのである。この素晴らしいライブの模様はDVDなどで見ることが出来るのだが、今回はCDという、音だけの作品である。また、The Wallライブは長いため、1枚のCDに収めることが出来ず、2枚組となった。

 ステージ・デザイナーはMark Fisher。サウンド・プロデューサーのJames GuthrieとドラマーのNick Mansonは、まずそのパッケージについて、The Wallのライブのスケールが一目で分かるようなものにした方がよいのではないか、との意見であった。これは普通のコンサートではなく、ロックのオペラショーなのだ。ニックは意味ありげにウィンクして言ったのだ。大きさの問題だよ。

そして私はデザインに取りかかった。音楽から受ける印象だけではなく、ことの大きさも考慮に入れて。パッケージは大きく、普通のものよりも大きくする必要があった。ただし、大量生産出来なければならない。結局、スタンダードな4枚組CDのケースの大きさを採用した。これなら、普通のCDの2倍の大きさがあるのでページレイアウトの自由度も広がり、写真も入れられる。また、CDはブックレットの表・裏表紙にそれぞれ1枚ずつ収納することにした。こうして、CDはプラスチックのCDケースは使わないことにした。私はプラスチックケースが嫌いである。特に2枚組用のケースが。今回我々はとてつもなく大きな64ページのCDケース兼ブックレットというものを考案、その中身は3種類の用紙(くりぬき型のページもあり)を使うことにし、破損防止のためにスリップケースに入れることにした。結局、全体としてはコンパクトにまとまった形となった。

 お分かりだろうか?パッケージの作成というものはそれほど大掛かりではないと思われがちだが、我々にとっては興味津々なのだ。この種のブックレットの特徴として、特に写真集では活きのいいのが身上である。The Wallのライブアルバムなど、正にそうである。もしくは、あなたが今手にしている、この本も。私としては、本というものは大切に保管されるもので、また、本の特徴はそのデザインや写真によるところが大きいと思っている。これが私の確信しているところである。

 このブックレットの中には、1980年にアールズ・コートで行われたThe Wallライブの写真が並んでいる。更に、ライブ前のバックステージの模様や、メンバーの最新のインタビュー、そしてライブの関係者たちのコメントも掲載、表紙裏の内紙はGerald Scarfeのイラストによるものと、崩れた波型のローラ・アシュレイ風(分かりますか?)の壁紙となっている。また、タイトルページ(この本の170ページ)とカバー(反対ページ)との比較をしてみた。そして、お分かりのように、デザイン上で重要なのが「4」という数字である。というのも、当時のフロイドのメンバーは4人、「Wall」、「Live」そして「Pink」という単語はいずれも4文字であることから、「The Wall」の逸話を特徴付けるものとして「4」が挙げられるのだ。こういう偶然が重なって、無視できないのである。「4」に関連したものは当然であるが写真の形に良く合っていると少なくとも私は解釈しているので、こういった形で落ち着かせることにした。

 もちろん簡単に落ち着かなかった問題もある。バンド内の力関係である。ロジャーはバンドの創始者であり、且つ、TheWallの作者であるので、彼の意見は大変に重要なのだ。しかし、デイヴィッドやニックがやろうとしたことに対して責任は負わないが、また、それを拒否することも出来るのである。ただし、デイヴィッドとニックはロジャーの作家としての力量を認めてはいたが、バンドの統括者としては話は別であった。ロジャーは話を拒んでいたのだが、CD発売には同意してくれた。ロジャーは私が全体を取り仕切るのをいやいやながら承諾したのだが、私とは会話は交わさなかった。ロジャーが信用するマネージャー(Mark FenwickとSteve O’Rourke)とは話をしたのだが、たいていは便宜上のものであった。ロジャーは友人のNick Sedgwickに文章の担当をさせたがっていた(これは問題なし)。また、Gerald Scarfeの参加を要請し(一部問題があったが)、コンサートプログラムのようにクレジットを作成することを希望していた(これは却下された)。

 交渉はデザインより難航した。実質的に同意にこぎつけたのだが、お陰でアルバム発売が遅れてしまったのである。ミキシングに時間がかかったという噂もあったが、実際にはこういうことである。

 スリップケースのカバーデザインは更に難しいものとなった。当初私が提案したもの(ブタ)はロジャーとディヴィッドの両者とも気に入らず、しかしディヴィッドが気に入ったものはロジャーが気に入らず、その反対も同じである。私としては我々が提案したアイデアを本当によいと思っていたのだが。それは、針金で作った母子(171ページ)である。これは、鉄で出来たガイコツやライブで使った処刑台のような感じであり、篭には保護と監禁の両方の意味を持たせ、ロジャーの中の壁を表現しようとした。また、 馬の死体を吊るしたScarfe風の写真でロジャーの激しい心の内を表そうとしたのだが、この2つのアイデアはむだ骨になってしまった。そういえば、 Scarfeの書いたイラストのマトルーシュカ(人形の中に人形が入っているもの)もあった。私はこれも好きであったが、ディヴィッドとロジャーの両方のお気に召さなかったのである。ディヴィッドとロジャーは直接に話はしていないはずなのだが、こういった点に関しては意見が一致しているのである。二人とも保守的な性格なのだと感じた。こうなったらライブの写真か、壁のイラストやスタジオ盤の「The Wall」の表題に手を加えたもので、以前の「The Wall」」に何か関連のあるものであれば納得するだろう。このライブアルバムは、以前の「The Wall」とは違う新しいアルバムだという認識が二人にはあったため、異なったデザインである必要があった。最終的に、既にディヴィッドとニックが了承していたライフマスクのデザインということでロジャーも同意したのである。このライフマスクは、実際にライブの中でフロイドの身代わりバンドが使っていたものであり(173ページ)、これに際して新たにケンブリッジ大学の壁を使って撮影しなおされた(フロイドはケンブリッジ大出身)。このライフマスクは切りぬきではなく、1980年に本式に作成された本物である。少々気味の悪いところもあるが、私は気に入っている。危ないところもあり、皮肉もあり…「死んだ」バンドの、死んだように見えるライフマスクがライブアルバムのデザインになったのである。また噂が飛び交うことだろう。

画像入力をして下さったPeter CurzonとRichard Evans、そしてこのアイデアに協力して下さったSam BrooksとFinlay Cowanに感謝致します。

 このライブの、膨大な量のスライドやビデオを見ているうちに、「The Wall」ライブというのは本当に素晴らしいショーだったのだと改めて思った。スペクタクル、躍動感、シュールリアリズム、恐怖。もちろん、音楽も素晴らしい。「Mother」、「HeyYou」、「Comfortably Numb」、そしてドラマチックな「The Trial」、「Run Like Hell」のロック。

 私はこのライブ自体には参加してはいないのだが、バンド内の力関係を別にすればこのライブアルバム作成に参加し、この音楽を再び世の中に出すことが出来て大変嬉しく思っている。1980年の自分に立ち返ってみると、「The Wall」のスタジオ盤のデザインを手掛けていないことで少々負い目を感じたりはしていたが、ライブを見て吹っ飛んだ。ロジャーが叫ぶ。「We don’t need no education」。一番なさそうなことであったのだが、しかしこの曲はフロイドの歴史の中でただ一つ、ヒットチャートの1位になった曲なのである。

「And we don’t need no more text」これ以上、説明も要るまい。