2.【バンコク赴任】

そんなバンコクに私が赴任してきたのは2001年 仏暦2544年9月1日である。少々私事の話をすると当時弊社は自社オフィスをバンコクの中心地ウィッタユ通のビルに引越す最終段階に入っており、あれやこれやと赴任早々多忙な毎日を送り始めた矢先、9/11アメリカで同時多発テロが起こった。
 タイという国の国際的立場を考えると同時テロとの関連は薄そうに見えるが我々は違った。なんとなれば新しいオフィスビルはアメリカ大使館の直ぐ近くだったのである。まあ紆余曲折の末、なんとかオフィスは無事に引越しする事が出来たがそこに至るまでの過程は大変であった。

 しかもそのテロ騒動の間は各地と連絡を取り合ったり、運悪く大きな国際会議を開催しなければならなかったりと業務に忙殺されていた。そんな風にドタバタしている間に自分の生活の中からPINK FLOYDの文字が薄らいでいったのである。それにタイに持って来れたものは航空便で送った小さなダンボール箱2つと赴任時に担いで行ったスーツケースの荷物だけで、正月に家族が赴任して来るまでの4ヶ月間をそれだけで過ごさねばならなかった。ダンボール箱の中には残念ながらFLOYDのCDが入る余地は無かったのだ。持って来れたのはせいぜい75/6/28ハミルトンや77/5/9オークランドや同6/25オハイオや80/2/28ナッソーと言ったお気に入りの数枚である、いわんやロジャーをや(すんません)だ。大体CDを持っていったところでCDデッキすら無いのだ。なぁーんやそれ。ちなみにオークランドは新しい方の「Mr.P○g」が音は良いのだが思い入れの激しさでやっぱり古いブタ風船の方を持って来てしまいました。

 さて、では家族も来ず、オヤジ一人でバンコクで何をしていたのかと言うと、皆さんのご想像のとおり!飲みに行くのであーる。タイに来た事のある方ならご存知だと思うがタイの女性はかわいいのだ。
 ゴーゴリの「ネフスキー大通り」みたいに後を付いて行きたくなるようなかわいいお姉さんがたくさん居る。まあ、そうでない人は極端にそうでないのだが皆さん総じてスタイルがすごく良い。インドネシアもマレーシアも台湾もそうだったし(黄色いお姉さん事件を覚えておられるだろうか)ベトナムはもっとスゴイらしい。
 閑話休題、独り身で駐在しているとお客さんの接待がひっきりなしに入る。どうせどこかで夕飯を食べるのならお客さんを飯に連れて行ってくれ、という訳だ。で夕食が済んだ後に「じゃあ次どこに行かれますか」って言うとまあ間違いなく「カラオケ」という事になる。

 アジアのカラオケは基本的に素敵なお姉さんが横に座ってくれる。自分の気に入った娘を選んで一緒に歌ったりお話したりするのだ。楽しく盛り上がってカラオケが終わったあと店外デート可という娘と不可という娘がいる。最初に可,不可を確認して選ぶのだが、毎度行ってるとウンザリするこのカラオケも 中にはこれが目的で海外出張企んで来る輩も居るくらい楽しいものらしい、まあかく言う私もかつてはそうだったが。で、毎回のようにお客さんをお連れするのだが危機管理上危ない店にはお連れ出来ないので必然的に店は絞られてくる。たくさんお姉さんがいて身元も割れててお客さんが喜びそうな店というと店も決まってくる。そうなるとお客さんが選ぶ娘はともかく自分が選ぶ娘もそのうち固定されてくるわけだ。我々駐在員が選ぶ娘というのは基本的に店外デート禁止の娘になるが、意外にも今回この娘がロジャーのライブに深く関わる事になるのだ。

 その娘の名前はTUKTA、タイ語で「お人形」というあだ名だ。タイ人は本名で子供を呼ぶと精霊が子供をさらって行くと言う信仰を信じており基本的にあだ名で呼び合う。実際私のオフィスのメイドさんは本名を聞いた事も無いくらいだ。タイではこの精霊信仰が非常に強く何事にも精霊が宿っていると考えているし、人間では精霊は頭に宿るとされており小さい子供の頭をなでたりするのは御法度だ。
 で、TUKTAだがカラオケ屋で働くにしては4大卒で英語も話せ、貯めたお金を友人と出資してウィークエンドマーケットに店を出したりしている。その店の名は 「PINK FLOYD」名前の由来は友人がこの名前にしたいと主張したからだそうだ。その話を聞いた時点で私の馴染みの娘はその子に決定したのであった。

 それから数ヶ月、多忙な毎日と家族が赴任して回数は減ったもののカラオケ屋通いの中FLOYDの文字が私の頭から薄らいでいった。出社時間が異常に早くPINK導師のウラBBSにもなかなか行けなくなったのも一因だし、唯一のリスニングルームだった車も独りで乗ってる時くらいボーっとというか寝ていたいモンだと思うようになったのも一因だ。ちなみにタイでは運転は急な割込み等が多く危機管理上自分で運転できない、何処に行くにも運転手だ。で朝は7時出社で夜はカラオケで1時帰宅の生活だと体がもたない。というような生活を続けるうちにFLOYDの文字が私の頭から薄らいでいった。

 駐在してからどれだけFLOYDを聞いていなかっただろう、以前は毎日通勤時にカーステ大音量で朝から「One of These Days」で周囲の車を威嚇したり、深夜仕事で疲れて帰る時は「Good Bye Cruel World」を口ずさんだりしながら帰ったものだが、こっち来てからはずーっとFLOYDを聞いていなかった。たまーにサイアムでFLOYDテープを見つけたりしたのだがレア物と言えども興味も湧かず、ブートも見つからずでFLOYDテンションは下がりっぱなしであった。

 

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